書籍・雑誌

図像学事典とイメージシンボル事典を購入

図像学事典とイメージシンボル事典
横浜の古本屋で図像学事典とイメージシンボル事典を購入しました。両方で1万円以上と古本でも結構値が張りましたが、後悔はしてないよ。
図像学についてはwikipediaでご覧になると解り易いです。
まぁ眺めるだけなんだけどね。比喩とか暗喩表現の解釈になんぞに有効かなと考えています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画の本「神話の法則」を読んだ

神話の法則
夢を語る技術5
神話の法則 ライターズ・ジャーニー 愛育社 4,200円(税別)

シナリオ・テクニックの世界的ベストセラー
本書は心理学の巨匠カール・G・ユングと「ヒーローズ・ジャーニー」のジョーゼフ・キャンベルの深遠なるコンセプトを発展させた人生という旅のガイドブックでもある。

ちょっと、映画のプロットを勉強しようかなと購入しましたが、為になったのやら……。

上記は、本書の帯に書かれているキャッチフレーズです。このようにユング心理学を映画のストーリーティリングに活かして体系付けたのがこの「神話の法則」です。
映画には、主人公以外に脇役としていくつかの登場人物が出てきますが、その登場人物にはどんな役割があるのか?またストーリを進めていくに当たってどんな要素が必要なのかということを本書は登場人物の役割を8つ、そして、ストーリーの要素を12に分けて体系化しています。
ただ、著者も「これは原型であり、公式ではない」と言っているとおり、この体系付けを公式としてストーリーを作ってしまうと新鮮味に欠ける作品が量産されてしまうと危惧をしています。つまり最初からこの原型を利用するのではなく、悩んだり、詰まったりした時に初心に帰ってブレイクスルーのきっかけにしてほしいということでしょう。

「アーキタイプ」登場人物の要素
まずは、登場人物の各要素ですが、著者はこれを「アーキタイプ」と呼んでいます。まさにユング心理学で言う「元型」ですね。ユング心理学では個人に関係なく人類共通の普遍的無意識を「集合的無意識」と呼んでいて、その集合的無意識を作り出している要素のことを「アーキタイプ」または日本語では「元型」と呼んでいます。本書では映画のストーリーを構成する登場人物の要素をこのユングの「アーキタイプ」になぞえて呼んでいます。
では、8つの登場人物の要素とはどんなものがあるのでしょう。
8つのキャラクターの要素
○主人公(ヒーローまたはヒロイン)
○賢者(本書ではメンター):主人公の指南役立場の登場人物
○仲間
○使者:ヒーローに動機付けをする
○変化する者:ヒーローを惑わす者
○影:悪役、ライバル
○門番:障害
○いたずら者(トリックスター):主にヒーローと観客を現実に引き戻したり、ヒーローに変化をもたらす。

ストーリーの12要素
○日常の世界
○冒険への誘い
○冒険への拒絶
○賢者との出会い
○第一関門
○試練、仲間、敵対者
○最も危険な場所への接近
○最大の試練
○報酬
○帰路
○復活
○宝を持って帰還

以上の要素を、主に「オズの魔法使い」を基に、「スターウォーズ」の例なども交えて語っていて、巻末には「タイタニック」、「ライオン・キング」「スターウォーズ」での逸話なども載っています。
特に面白いなと思ったのは、映画を面白く見せるための障害の設定の仕方です。本書で「掛け金」と読んでいましたが、その掛け金の釣り上げ方は、なるほどと思わせる内容でした。

この本、だいたい500ページくらいあるのですが、この本で映画のプロットやストーリー構成の基本の部分はある程度わかるのですが、観るほうからだとそれだけでは不十分です。ユング心理学と絡めたといっていますが、絡め方が実に表面的です。河合隼雄氏が「ユング心理学入門(培風館)」の中で言っていますが、「フロイトの精神分析が、アメリカにおいては、その現象学的な意味合いがうすくなり、あたかも客観科学であるかのような取り扱い方をされて隆盛した事実」とか、「精神分析の考えがアメリカの心理学者にもてはやされ、浅薄な解釈や技術だけ流行しそうになった」、「アメリカにおける外的現実への強い尊重性」と言っているように、自己表現を重視し、内面的なことは無視され、言葉で言って言わなければ解らないし、人種のるつばであるアメリカですから、おのずから表現も、ストーリーも固まってきてしまうのでしょう。一見多様性を重んじているように見えて、アメリカ社会は多様な部分はどっかに置いといて、すべてマニュアル化してしまいますから、ユング心理学の取り扱いについてもこのような表面的な、言ってみればステレオタイプ的な扱いになってしまうと思います。本書を手にする方がいらっしゃいましたら、最低でも河合隼雄氏の「ユング心理学入門(培風館)」が必須です。また河合氏は昔話や神話に関する著書もありますので、こちらもあわせて読むと映画をより深く理解できると思います。
余談ですが、ここで先ほど「自己表現」といいましたが、ユング的に言うと「自我表現」ですね。と思うと日本の少女マンガをアメリカの少女達はどう見てんだろうと余計な興味が湧いてきました。あくまでも余談ですが…。
河合氏の著書は以下がおすすめです。
「昔話の深層(講談社+α文庫)」
「ファンタジーを読む(講談社+α文庫)」
「神話の心理学(大和書房)」

この本、図がいくつか載っていますが、フォントがおかしいのか、Illustratorの「詰め」設定で変になったのか、よくわかりませんが、文字が詰まりすぎて出力されてしまっています。同業者として苦笑してしまいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

イメージを読む【美術史入門】

イメージを読む【美術史入門】
「イメージを読む【美術史入門】(若桑みどり著 ちくま学芸文庫)880円(税抜)

最近はめっきり美術館やデパートで行われる美術館に足を運ばなくなっていまいました。というか美術に興味が湧かなかったからですが、やはり目を肥やすには実際の絵をこの目で観る必要があるかな?と心がけるのですが、どうも腰が重く足が運びません。
その理由としては、絵を観るには時間をかける必要があり、導線にしたがって観ていくのですが自分と他人のペースが合わない。遠目で引いて観ようとすると、必ず絵に目をこすり付けるように観ている人がいて思うように観れないからです。まぁ自分で絵筆を持つ人は、その画家がどんなタッチで筆を使っているかとかを観る必要があるかもしれませんが…。ましてや有名な画家の展覧会にもなると普段興味が無い人でも一目観て置こうと足を運んだりするわけです。その場合、絵を鑑賞というよりは、「有名な作品をリアルで観た」ということが主眼になると思います。
一般の方の多くはこのように「有名な作品をこの目で観たい」とか、「美しいものが観たい」とかで結構なのです(実際にこの目で観ないと立体感やスケールなどが感じられません)。
実際、絵画には色んな見方があると思います。まず、画家自身、そして印象派とかの年代・分類、技法など。その中で本書では、その絵にどんな意味や思想が含まれているのか?ということを取り上げています。
取り上げているのは
●ミケランジェロの「システィーナ礼拝堂の天井画」
●レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」
●デューラーの「メレンコリアⅠ」
●ジョルジューネの「テンペスタ<嵐>」
で、北海道大学で行われた5日間の教養の講義とNHK文化センターで開かれた講義を元に編集されています。

サブタイトルに「美術史入門」とあることから入門書としての位置づけですが、絵画に興味があり、これから深く勉強して名画のモチーフがどんな意味を語っているか知りたい方にはまさしくうってつけの本です。

これは何にでも言えるのですが、絵画作品には表面に現れない隠されたものは沢山あります(絵画だけとは限りませんが)。時代背景、宗教・作者自身のこと、そして、そのモチーフがどんな喩えで使われているのかどうかを知ることを図像学(イコノグラフィー)といい、人類の総合的な歴史のなかに芸術の歴史を関連付ける。このことを図像解釈学(イコロジー)と呼んでいます。本書はルネサンス時代の画家を取り上げていますが、やはりこの時代の絵を語るにはキリスト教という宗教を抜きにしては語れません。それはキリスト教布教のためにはイメージを使用したほうが効果的だからです。ましては中世の文盲率は高く、聖書が読めない人は沢山いたからです。本書では同じ宗教画でもルターが登場し宗教改革で混乱した世相とそれ以前では様式や雰囲気が全然違うということを書いています。

まぁこれは絵画でも映画にも言えることですが、西洋のものを観る時は良くも悪くもキリスト教とかユダヤ教、そしてそれらの関係とかアレゴリー(寓意像)を理解していなければ本質が見えないことがあります。
その本質を知るためのきっかけを本書が与えてくれると言えばいいでしょうか、特に「モナ・リザ」の解釈は一読の価値があると思います。
本書では、これはキリスト教ではこういう意味があります。とかこれは何々の喩えです。とキリスト教のシンボル的なものの説明が少し解説してありますが、本格的に知ろうとすれば、やはり「キリスト教シンボル事典」などが必要になるでしょう。

最後に、「確かに作品の理解には心理学は有効な方法です。われわれはもっと進んで共同研究をしなければならないでしょう。とくに図像学があまり役に立たなくなった現代美術の理解には不可欠です。」と若桑みどりさんはおっしゃっています。僕がユング心理学に興味を持ったのは、まさにそれでユングのいう「集合的無意識」「元型論」がそれを開く鍵になるのではないかと考えているのですがどうでしょう?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「吉兆」と「場の空気」

なんとなく、日本人
船場吉兆の料理使い回し問題ですが、以前問題となった産地偽装の件と合わせて日本人の持つ「場」という意識構造が裏目に出た結果だと思います。おそらく吉兆内部では上からコストダウン、利益率アップを言われていたんだと思います。
先日にもちょろっと紹介しましたが、「なんとなく、日本人 ー世界に通用する強さの秘密ー」小笠原 泰著 PHP新書はこの「場」について書かれているので気になる方は読んでいただきたいと思いますが、本書の中で、
日本人にとっての最大境界とはなんであろう。あえて定義すれば、これ以上先には、「場」が個を越えて主体性をもつ「ウチ」の世界は存在せず、意味論が通用せず、共有文脈の設定ができない完全な「ソト」の世界であるという境界のことを指す、つまりこれが、「日本人である」という意識の境界なのである。この最大境界の内側で、日本人は「なんとなく、日本人」でいられるのである。
~中略~
日本人の相対的自己構造にあっては、
1.まず場における自己の相対的な位置を確認し、2.それと同時に境界の設定(共通文脈の確定)を行い、3.そこから内側に向って考えていくという日本人の思考の基本的傾向をご理解いただけたと思う。
境界を確定して、安定的にウチに向いて考えるには、「場」のもつ設定境界を含めた関係性の構造(=集団や組織における役割)が安定的でないといけない。そうでなければ、安心してウチを向いて考えることに集中できない。それが「場」における関係性=役割の固定化へと進む。
ここに「場」の共通重心という縛り(場における暗黙の共通文脈)が加わり、これが一人称性をもち、個人の一人称性より優位に立つのである。つまり「場」が存続するかぎり、その共通文脈を変えることは難しい。
とあります。最近では、「空気の読めない人」とか言いますが、この吉兆内部にも「不正はやめよう」といった従業員の方がいらっしゃったかもしれません。しかし、この「場の空気」でそれが言えなかったのか、その声が潰されてしまったのか僕の知る由ではありませんが、そういった不正の方向に「場」が行ってしまい、「ウチ」が社内で、お客様は完全に「ソト」と単純に見てしまったことは非常に残念です。日本においては、「その場を空気」を変えるということは非常にエネルギーが必要です。ですので今流行の「空気の読めない人」とか簡単に言わないで、他人の意見を聴く耳を持つことがこういったことを防ぐ為にも大切なことでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

[欲望」と資本主義 ~終わりなき拡張の論理~を読んで

[欲望」と資本主義 ~終わりなき拡張の論理~
佐伯 啓思 著
「欲望」と資本主義
ちょと「欲望」とは何ぞや?
とういうことでいろいろ調べているうちに出合った本です。
「欲望」の「欲」って、、よく「欲ばり」とはいわれるのでネガティブに捉えられることもあるのだけれども、
ポジティブには「意欲」ということばもあります。
基本的には、対象とする「人物」や「物」に「差異」が認められ、その差が大きければ大きいほど「欲望」が高まるといわれていますが、僕みたいな低収入の人がロールス・ロイスが欲しいとか思いませんので、その人の経済状態とか、価値観に社会情勢なのどが影響して、ある所から「差異」があっても急速に「欲望」が無くなるものと思います。
その辺りの話は機会を改めて行いたいと思います。

本書は、今まで「資本主義」というと「社会主義」との対で語られることが多かったのですが、冷戦終結でそういった体制ではなく「資本主義」そのものを、「人間の欲望の拡張という観点から資本主義を理解してみたい」「資本主義とは人間の活動のあくまで一部、重要ではあるがひとつの局面なのである。」という観点からかかれています。
資本主義といったらマルクス・レーニン主義が必ずでて絡めて語られていたわけですが、この本はあくまで「資本主義的な活動」ということに焦点をあてた内容となっています。最初は単に「モノ」を所有する喜び(快感)だけで済んでいたものが、他人と違うモノ、自分らしいモノへと果てしなく拡大していく欲求はバーチャル・リアリティなどの技術の発展で、シミュレーションによって「快感」だけが得られるかもしれない。そうすると、モノを生産しない「シミュレーション資本主義」というものが考えることさえできるであろう。技術のフロンティア開拓は盛んに行われているが「大衆化」とは結びつかない、技術のフロンティアと欲望のフロンティアが乖離し始めているからだ。産業技術が独占してきた「近代」を脱して、もう一度、文化や知識の領域に取り戻す可能性が開かれたのである。欲望を文化的イマジネーションの世界へ取り戻すことができるようになったのではないかと思う。と筆者は閉めています。

これを読んで、「モノを所有することで他の人と同一化したい」「モノを所有することで他の人と差別化したい」という欲望は人間に常に付きまとうものですが、その欲望を快感にし、切り出して浸ることは人間にはできません。なぜなら人間は肉体を持っているからです。また、テレビを観る、音楽を聴くといった受身だけでも人間の欲求は満足しません。一昔前に流行ったバーチャル・リアリティも一般にはあまり聞かなくなりましたが、アニメ「電脳コイル」のようにメガネをかけただけで、他人とコミュニケーションでき、仮想のものを触覚で感じる時代が確かに来るでしょう。そのような技術で一時的にも欲求・快感を消化できたとき、果してリアルに何が残されるのでしょうか?
そして、その残されたリアルを見た時に人々は何を感じるのだろうか?
自分の感情とモノや他人の差の距離は固定されたものではなく、相対的なもので絶えず揺れ動いている。その揺れ動くことが不安に感じるという人が近年では多いように思えてなりません。それは今までの資本主義が「お金」と「モノ」が主体だったからで、自身の「個」があまりにもあざなりになっていたからではないでしょか?
今、そのおざなりになっていた「個」が一気に噴出してきたような気がします。「ブログ」「youtube」「ニコニコ動画」「初音ミク」などの既存のメディアを脅かす自分の発表の場ができたからです。そこには他者からリアルに直接フィードバックされ、「個」をじかに確認できるシステムがあります。この「個」を拡大生産させるシステムに人々は資本・資源を投入していく新たな「資本主義」が、筆者のいう「欲望を文化的イマジネーションの世界へ取り戻すことができるようになった」ことではないでしょうか?
この「個」を拡大生産した後のことは、今後の私たちの自身の課題になるでしょう。

で無学な僕には、本書のタイトルの「欲望」とが「資本主義」から少しはずれて、なぜ、中世から近世にかけて西欧諸国が植民地主義に走ったのかが本書に書かれていたて気になったので参考程度にご紹介します。

西欧では中世から封建社会で王侯貴族が権力を握り、欲望のかぎり欲しいもの手に入れていたのは、あえて言う必要はありませんが、その欲望が高まりもっと大きい「差異」を入れようと他の文化圏との交易を始めたわけです。
具体的には中東の「ペルシャ絨毯」、インドの「綿」、東南アジアの「香料」、中国の「陶器」などです。
それらは始め、金と取引をして購入していたわけですが、始めのうちは王侯貴族の一部の人が買う程度どのものが下層に広まって行き、ある種のオリエンタルブームが起きて輸入過多になってきたわけです。
で、必然に金がなくなる借金がかさむ。貿易不均衡状態になったということでしょうか。
でそれではたまらないと西欧の人は、それでは貿易している国を征服してしまえばいいいと思い、それらを植民地にしたのです。要はそうすることで借金を踏み倒したとでもいいましょうか。
そこでアメリカは完全に出遅れましが、国内に膨大な土地があるので、奴隷を買って国内で綿を栽培しようとして始まったのが、奴隷貿易だということになるのでしょう。
ここで、植民地化するにも奴隷貿易する際にも、その土地の人々を使いたいように使ったわけですが、その大義名分に使われたのか「異教徒だから」です。つまり彼らは「キリスト教徒では無い」と、イエス・キリストの教えこそ最高で、その教えを未開の地の人々に教え広める必要がある。抵抗するものは殺ってしまえとばかりに行ったのです。
そして東へ、東へと彼ら西洋人は拡大を進めて行ったわけですが、中国に来た辺りからフランス革命などで民主主義が起こり、封建主義が衰退したのです。もし、このままの勢いが続けば日本も西欧の植民地になっていたかもしれませんが、しかし日本では科学は発達しなかったものの、商業文化は発達して、そのための寺子屋もあったりして識字率は高く、他の地域から突出していたので、日本を完全に植民地化するのはかなり苦労したことでしょう。そういうことを考えると日本ってラッキーな国だな。とあらためて思います。

結局、この本で何を思ったのかといいますと、
キリスト教は、これらの歴史から鑑みて内省すべきではないかと
イエスが直にやったのではないが、キリスト教にそういう解釈ができる部分があったからこそ、大義名分に利用され世界をぐちゃぐちゃにしたのですから。

余談ですが、「聖パウロ」とか「聖」がつくと、何だか有り難味があるような気になりますが、この辺りは日本人は肩書きに弱いので分別して考える必要があるかと、つまりキリスト教徒じゃない人にとってはどうでもいい話で「部長」「課長」はそちら組織の話であって、「聖」がついても俺らの「聖」じゃねえよ。
ということです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ひなぎく純真女学園 ふくやまけいこ

ひなぎく純真女学園 ふくやまけいこ
今回はマンガです。はっきり言いまして比較的マイナーな漫画家さんです。
ふくやまけいこさんと言っても多くの方はご存じないでしょうが、僕にとっては、目から鱗鱗が落ちるほどのインパクトを与えてくれた漫画家さんです。
僕は社会人になるまで、小さい頃からジャンプ派でした。少しの間ですがチャンピオンも読んでいて「がきデカ」「マカロニほうれん荘」とチャンピオン全盛時代も経験していますが、基本的にジャンプ。そして必然的にヤングジャンプにステップアップとして行き、突如週刊マンガを読むのを止めてしまったのですが、そのきっかけを作ったのが”ふくやまけいこ”さんなのです。
僕とふくやまさんの作品の出会いはマンガ専門誌「ふーじょん ぷろだくと」に掲載されていた。「地下鉄のフォール」でした。
荒削りだけと純粋なタッチとそのハートウォーミングなお話にやられてしまったのです。
で誌面の隅にこうありました。「アニドウから出ている個人集「ふくやまジックブック」(1,000円です。フリスペにも置いてあるからよろしくね)と
そこで僕は焦って、休日に新宿のフリスペまで行ったのですが、案の定売れ切れ、仕方なくトボトボと帰宅したのを覚えています。
そして暫くて「リュウ」連載の「エリス&アメリアシリーズ ゼリービーンズ」からふくやま先生の作品を集めていきましたが、未だに聖典である「ふくやまジックブック」は手に入れられていません。(プレミアが付いて高いので)

それから僕のマンガの見方は変わりました。そしてある日、ヤングジャンプの「のぞみウォッチング」を読んでいて、ヒロインの水着サービスカットを見たとき、「何か読まされているぞ」と感じたのです。
何か「おまえらの欲求は解っている、エロとグロとナンセンス、バイオレンスが見れれば満足なんだろっ」と、
そこから僕は、急激にジャンプに対して醒めていったのです。
対してふくやま先生の作品には商業志向では無い何かを感じたのですが、やはり魅力は人柄が作品に滲みでているというところです。一気にファンになりました。

あの出会いから27年という月日が流れて、流石の僕もマンガ離れが進みましたが、やはり気になってちょこちょこ「まんがの森」で開催された原画展を見たりとふくやま先生の作品だけは、気にかけていました。
そして僕の気が緩んだ頃、ふくやま先生の新作が出ているとの情報が、で早速購入しました。

で、タイトルは「ひなぎく純真女学園」 4コママンガです。
って、何ぃ~百合! 百合ですか…。
まぁ、以前「ジュネ」に描いていた方のことだ、驚くに値しません。
が、しかしやはりふくやま先生、「エロス」がない。これも人柄なんですね。いい意味でも悪い意味でも。

ただ、ところどころ笑えます。
「U電の生DVD-Rを50枚スピンドル」とか、
ふくやま先生・・・。

で気になったところは、少女マンガで頻繁に登場する得体の知れないバラとか綿ぽこ「不思議な泡状のもの」(「マンガはなぜ面白いか ~その表現と文法~」夏目房之介 NHK出版)は、そうか「心象イメージ」なのかと勉強になりました。しかし、バラとかはなんとなく解るのですが、その心象イメージが具体的な形をもっていないとするならば、これはユングの言う元型に近いものではないかと考えるのは、考えすぎでしょうか?考えすぎですね。

最後に、いつも本はAmazonでポイントを稼ぐために買うのですが、これを買ったらAmazonからトップページで何を薦められるかたまったもんじゃありません。まさにKONOZAMAです。
ですので今回はマンガ専門店で購入させていただきました。
でふくやま先生はご結婚されたのでしょうか?そのような情報は全然検索エンジンに引っ掛からないのですか・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「父性の復権」を読んで

父性の復権

今更ではありますが、「父性の復権(林道義)」を読んでみました。林道義氏というとユングの翻訳で有名な方ですが、私は今までユングというと河合隼雄氏の著書しか読んだことがなく、今回が初めての林氏の著書となります。
本書は出版されたとき色々と物議を呼んだそうですが、当時はあまり心理学に興味がありませんでしたのでそのことはしりませんでしたが、アマゾンのレビューなんかを読んで見るとなんとなく解るような気がします。でも本書を批判されている方はちょっと勘違いをされているようですね。林氏は「基本的に父も母も両方がもたなければならいと考えている」と言っています。実際、母親だけで沢山の方が立派に子供を育てられています。また、「父性」とはそういった性質に名前をつけた(概念化)です。
それはさておき、
実は林氏の著作を購入したのは本書が最初ではなく、ユングの「個性化とマンダラ」が最初なのですが、まだ読んでいなく積読(つんどく)状態ですので本書が最初となりました。
そのうち「元型論」も購入の予定に入っておりますので(資金は確保した)、今後、ユングのことを勉強したいと思っている私にとっては林氏の著書、訳書に触れる機会が増えてくると思われます。

父性とは
「自らの欲望をコンロールし、全体の将来を考えてリーダーシップをとり、各成員の調停をして取りまとめ、ルールを教えるという立派な人格」と「文化を伝承していく」には父性というのが必要ということです。その父性を発揮するのに適したのが父親で、最近、無気力の人が増えてきて、無気力現象ははっきりと父性の欠如からきている場合が多い。心理臨床家の中には心的エネルギーが低いだけとう患者が増えているそうです。

父性の条件
林氏は父性の条件として5つにまとめています。
1.まとめあげる力
しっかりとした価値観を持ち、家族をまとめあげ、原理原則を示す力、これには構成力が必要であると言っています。
構成力とは「異なった要素を意味ある全体へとまとめあげる力」です。
2.理念、文化の継承
3.全体的・客観的視点(この中で最も大切なので「公正な態度」だと言っています)
4.指導力
5.愛



以下自論
父親が父性をもって子供に接してもその影響力が強いのは子供が中学生ぐらいまででしょう。それまで子供は父親が知らないところで父親が知らない、教えてくれないことを身に付けていきます。しかし経済的には自立していないし、精神的にも不安定です。そうして子供も高校、大学、社会人、結婚、父親へと成長していきますが、その成長の過程の中で自分の父親を超える時が必ずあるのです。しかし子供に父性が足りないといつまでたっても自分の父親を乗り越えられない子供が出来てしまうのです。精神的に父親を乗り越えられない子供の中には物理的な行動(暴力)によって乗り越えようとしてしまいます。
リーダーを育成するのも父性が必要
巷の本屋にリーダーシップ育成の自己啓発関連の書物が沢山並んでいますが、このリーダーシップを育てるにはこの父性は欠かせないのでです。リーダーたるものは結果が全てですが、リーダーとはメンバーが100%以上の力を発揮できる環境を作り、掲げた目標を前向きに何がなんでも達成するという意欲が必要なのです。特に日本人は、その「場」を維持するために信念や決意・ルールを破っていまうことが多いように思います。目標を達成できなかった時の「よくがんばったよ」、「結果が全てじゃないよ」とかの慰めは母性の役割です。でも今はその「場」が良ければ何でもいい状態のような気がします。体制が違う国に行って女性と関係をもってハニートラップに引っかかる政治家とか、お金を積まれて自分の信念を曲げてしまう人とか(そういう人は信念なぞ持ち合わせていないか)、国家の機密を簡単に他国に売り渡すとか、そういった父性が足りない人の話は新聞をちょっと広げただけでも沢山載ってますね。

「エゴグラム」のCPに似ているなぁ
しかしこの「父性」はエゴグラムでいう「CP」にあたる部分に似てなくはないでしょうか?
エゴグラムとはご存知の方もいらっしゃると思いますが、精神科医のエリックバーン氏の「交流分析」をもとに個人のパーソナリティの構造を分析する手法です。

人には人格における構成要素として3つの要素があると言っています。
P(Parent:親)
A(Adult:成人)
C(child:子供)


この要素の組み合わせの強弱をグラフで表したものをエゴグラムと呼んでいます。
組み合わせには
CP(Critical Parent:批判的親)
NP(Nurturing Parent:保護的親)
A(Adult:成人)
FC(Free Child:自由な子供)
AC(Adapted Child:順応な子供)

の5つがあります。
この分析を行った時に、人は全ての要素を持っていますが、極端にある要素が高かったり、低かったりした結果が出た場合やはり問題がありますので自覚して行動する必要があるでしょう。
で、先ほどCPに似ているのではないかと言ったのはCPというのは「物事を批判的に見て、厳格に自分の信念を持って対処する」要素です。逆に母性的な部分はNPにあたります。因みにAは物事を冷静に客観的に見る要素で、Fは物事に囚われない自由な性格を持っています。ACは今で言う空気を読んで物事にあたる要素です。

経営者にとって必要な要素
このCPというのは会社などの組織の頂点に立つ人にとっては欠かせない重要な要素です。信念と明確な目標をもって組織の全体、利益、幸福を考えなければ会社・組織は潰れてしまいます。しかしこのCPが強すぎてもいけません。組織を枠に縛りつけ硬直させてしますからです。この辺りは状況を見て他の要素を意識的に使うしかありません。要はバランスの問題ですね。

最後に、「父性の復権」にエゴグラムを絡めたら本題とは違うエゴグラムの方が文章が長くなってしまいました。最後まで読んでいただいた方には、僕の拙い文章を最後まで読んでいただきありがとうございます。
この文章を書いていて思うのは、「先の戦争で日本は悪いことをしたよね」といって、あれもこれも軍国主義につながるから無くしてしまえという風潮が今だ60年以上も経って蔓延っていることです。なんかそれらの主張を聞いていると日本人であること自体「罪」といっているような気がします。そうやって今の日本人の男達はどんどん去勢されていくのかなぁ~と感じるのです。あげくの果ては、痴漢と間違われるのがイヤと「男性専用車両を作ってくれ」とな、行き過ぎにも程があります。痴漢は犯罪ですが、これでは男が女性に対して怖がっているといか思えません。男女平等とかいいながら結局は「性別隔離政策」のようになってしました。これでは少子化にもなるわなぁー。正々堂々と異性に接せられない卑怯な男性を作ったのはやはり去勢されたからですよ、あと男に残されたのてんのは腕力ぐらいだもん。腕力が無い人はコソコソするしかないからこんなことになるんだと思います。変な時代になりましたね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

金を出すから、ロケットを作らせてくれ!

宇宙ロケットに夢を乗せて
~小さな会社の大きな挑戦~

宇宙ロケットに夢をのせて

で作っちゃった方がいらっしゃいます。その方は植松電機専務取締役兼カムイスペースワークス代表取締役の植松 努さんです。
僕は普段、日経産業新聞を通勤時に読んでいて一通り目を通していますが、確かに北海道でロケットを飛ばすとか何とかという記事が以前ありました。その時は「ふぅ~ん、そうなんだ。あっちこっちで頑張っんな」ぐらいで深く知ろうとは思いませんでした。大阪では「まいど1号」という衛星を上げるプロジェクトがあるなど、自分たちで宇宙に挑戦しようという方たちが少なからずいらっしゃいまが、しかし宇宙の分野は開発に時間がかかるので僕としては官のJAXA(宇宙航空研究開発機構)の活動を追いかけるだけで精一杯なのです。

そんな北海道でロケットの記事も記憶の中から消えかけていたころ、先月北海道の知人に「今度H-ⅡAの打ち上げあるんだよ」と僕が宇宙関連に興味があると知らせたら本を送ってくれました。その本が「宇宙ロケットに夢をのせて~小さな会社の大きな挑戦~」です。
この本は、その植松 努さんが読書普及協会設立4周年イベントでの講演を本にまとめた講演録です。

植松さんらのロケットとは
北海道大学の永田先生が主導となって研究・開発を行っている「CAMUI(カムイ)型ハイブリッドロケット」です。
植松電機さんは開発と製造に関わり、この度1機210万円で受注を開始したようです。
このハイブリッドロケットというのは、私は技術的な話はよく解りませんが、一般にはロケットというのは大きく分けて2種類に分類されます。
液体ロケット
スペースシャトルの主エンジン、日本のH-Ⅱロケットなどがそれにあたります。
燃料(液体水素)と酸化剤(液体酸素)を混合させ燃焼させるタイプです。
燃料には他にヒドラジン、ケロシン、酸化剤には四酸化二窒素なども使われているタイプがあります。
特に液体水素は取り扱いが危険で、打ち上げの少し前にタンクに注入するのですが、タンクに注入してから打ち上げが延期になると一度タンクから液体水素を抜いてタンクを検査しなければならないので、「今日ダメだから明日打ち上げよう」という訳には行かず1週間ぐらい伸びてしまいます。
固体ロケット
火薬または固形ゴムと酸化剤をあらかじめ混合させ固形させたロケットです。
日本ではISAS(宇宙研)のM-Vロケット(はやぶさを打ち上げたロケット)などが有名です。
燃料の扱いが簡単な代わりに燃料が燃え尽きるまで飛びますので後の軌道修正などが必要です。
あと、打ち上げ時の震動も難点です。

でCAMUIロケット(ハイブリッドロケット)とは
プラスチック(ポリエチレン)を燃料として酸化剤に液体酸素を使用したものです。
この方法だと大きな推進力がとれないという弱点がありましたが、燃焼ガスを固体燃料表面に順次衝突を繰り返すよう工夫をして高出力化に成功しました。
本書には、「燃料は特殊な複合材で出来ています。特殊と言ってもホームセンターで車の補修用に売っているFRPです。」だそうです。
で先に210万円で受注を始めたとありますが、なぜ安い値段でロケットができるかというとロケットとか航空機というのは部品がオリジナルです。戦闘機の修理用のスパナが100万円とかという話があるぐらいですが、このCAMUIロケットは汎用のパーツを使用して作れるようにしてあるからだそうで、これもホームセンターで調達できるものを使用してコストを下げ、また、燃料が爆発しないのも安全に対するコストを下げることに繋がり、危険物の許可もいらないそうです。



植松電機の社業は主にリサイクル業向けのバッテリー式マグネットの開発・製造です。以前はお父さんと二人だけで自動車の電装品修理を行ってきましたが、基本的に自動車が壊れなくなってきたというのと、自動車修理業というのが「修理」ではかく「パーツ交換」に変わってきてしまい将来性が無く先細りしてたことから、お父さんが以前からバッテリーで動くマグネットを改良して作っていたものに軸足を移してリサイクル業の能率を上げる製品提案を行う会社にしたということです。
植松努さんは、幼いころ紙飛行機に夢中になり、将来「飛行機とかロケットとかの仕事がしたい」と思いを抱くようになり、航空機を作っている大手メーカーの技術者として就職しましたが、飛行機に対する熱意の周りとの温度差に落胆して退職したそうです。それで家業をついでますが、北海道大学の先生から「ロケットを作れませんか?」と尋ねられ、「60年前に誰かが作ったんだから、作れないほうがおかしい」と思い、本業の傍らロケットを作り始めたそうです。

無重力実験施設も作りました。
無重力状態で材料などの実験を行うには、普通お金がかかります。NASAなどは空軍上がりの専属パイロットがいて、ジャンポジェット機やガルフストリームなどの旅客機やビジネスジェット機を高高度から自由落下させて行っているのですが、自前の飛行機が無いところは飛行機のチャーター代とか、パイロットの技量だとか問題となり、なかなかできません。
ですので地上で無重力実験が行えるよう、高い塔(ドロップタワー)を作ってそこから実験機材のカプセルを落として実験しています。
その施設は日本では岐阜県と植松電機さんの北海道の赤平、海外ではドイツの1ヵ所と世界で3ヵ所しかありません。
以前、北海道に炭鉱跡を利用した施設もありましたが、やめてしまったようです。
植松さんは自前で無重力実験塔を作ろうと業者に見積もりをお願いしたところ3億円と言われたそうです。でよくよく調べてみると自分たちで自前で出来そうだと図面をひき、作った結果2,400万円ぐらいで出来たそうです。

植松さんの夢
それは、
○住むためのコストを十分の一にすること
○食べるためのコストを半分にすること
○勉強するためのコストをゼロにすること
だそうです。
「宇宙開発とい場で修練してきた人たちがこれらの問題が解決するようになればいいなぁ」と考えているようです。
今、植松さんは小学校にお願いをしてロケットの無料授業をしているのだそうです。なかなか学校側の理解が得られないようですが、それでもご理解を頂いて何校か行っています。(うらやましい)

この書評にもならない本書の感想ですが、HPやAPPLEという会社がガレージから出発してたり、ホンダが町工場から出発したのと似ているかな?と思いました。今やこれらの企業は世界に冠たる大企業です。これらにはイノベーションで大きくなった会社もありますが、たたき上げられた技術者がコツコツと積み上げた大きくなった会社です。そこには「自分で作ろう!」という気概が感じられます。「無いものは自分で作れ!」「痒い所に手が届かなかったら自分で何とかしろ!」という具合です。
自分のことですが、中学校の時、進路のことになっていきなり学校から渡されたのはリクルート編集の学校要覧でした。その時にリクルートという会社は何?とかなり違和感を感じました。私はこの学校要覧を使って検討するもでもなく行きたい高校を決めていましたど(専門科目が県に2校しかなかったので)、小さいころから「危険!」「あぶない!」と色々禁止されて、将来楽出来るのはどんな職業かと親から言われ続けて来た子供はこのような業者が作ったレールに乗っかるしかないのかなぁ~。
確かに知識と言うものは重要ですが、今の学校は「知識」に偏って、体験させる、作らせるということがお座なりになってはいやしないか、「体験」も体験させるだけではダメで最後までやり通す、完成させるということが大事で、成功体験が無いのに安易に「自信を持ちなさい」なんて言えないだろ!
知識なんて金出して本を買ったり、図書館で幾らでも転がっています。「俺、それ知ってる」自慢の子供を沢山輩出してもそれを何かに作り上げるという力がなければ何もならないと思います。知識をタダ同然で手に入れて喜んでいる国が日本の周辺にありますが、その国がどのようになるか見てみると良いと思います。一時的に潤っていたその国は今、貿易赤字、外貨不足で倒れかかっています。今の私たちの日本に求められているのはビジョンとそのビジョン達成へと突き進む力です。ビジョンは子供の頃読んだ空想科学小説やアニメ、マンガでも何でもいい、将来こうありたいと思うもの、願うものを信念としてもいいと思います。進むしか無いのです日本は!

本書は、さんだる文庫より
1,000円(税込)で出版されています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ジャポニスム 印象派と浮世絵の周辺を読んで


「ジャポニスム 印象派と浮世絵の周辺」大島清次著(講談社学術文庫)を読了。
ジャポニスム(ジャポニズム?)といえば、今や芸術やファッションの分野でもスタイルの一つとして世界に定着している。
本書は19世紀中盤から後半までフランスの美術界(特に印象派)の人々にどのように知られていき、北斎、広重とであった印象派の画家たちがどのように自分の作品に昇華していったのかを丹念に論考している。
詳しい内容は本書を読んでほしいが、過去にWOWOWで放映された「印象派 若きモネと巨匠たち」ではジャポニスムの影響は語られなかったが、彼らはマンネリ化した西洋画壇に一風を投じようと考えていたときに東洋の見知らぬ気にからきた浮世絵版画に魅せられたのは歴史の流れの中で幸運だったといえるだろう。
また、僕自身考えるに西洋絵画をマンネリ化させたのはキリスト教や中世から続く王侯貴族の封建的社会にあったのではないかと思う。
時として世紀末に向かい西洋では民主化とキリスト教の影響が弱まり、方や東洋の島国では幕末というタイミングは歴史の必然だったのだろうか?

今の時代を見てみると、日本のアニメが海外でyoutubeなどを通じて数多く視聴されているが、これが第二のジャポニスムにならないかと期待している。彼らがどう日本人の生活、倫理観を見ているか、そして彼らの生活にどう影響を及ぼすかは解らないが、軍事と金融の弱肉強食を続けている世界に少なからずとも日本人がもっている「お互い様」「お蔭様」という精神が伝わってくれればと願いたい。
しかし、日本のアニメが人気だからと言って、日本のアニメを国際化しようという動きがある。日本の装飾芸術が昇華されたのは長い鎖国状態の中で我が道を行ってきたからであり、変に国際化してしまうと「ここは理解できないから」といって変えていってしまっては西洋の亜流的なものしか出来ず、かつての印象派たちを驚かせたような部分が無くなってしまうのではないかと危惧してしまうのは心配のし過ぎかなと思う。
確かにアニメ業界の窮状は何とかしなくてはならないが、取り巻きの代理店・スポンサーが金に目が眩んでホイホイと
ハリウッドナイズされた作品を作れ!なんていうことにならなければ良いと願います

| | コメント (2) | トラックバック (0)